【感想】東京クルドは「難民」という色眼鏡を静かに外す映画

※本文中、大きなネタバレはありませんが、すでに映画を見ることを決めている人は、見てから読むことをお勧めします。「東京クルド」がどんな映画か知りたい人は、ぜひこの記事を読んでみてください。

 

日本で育った「難民申請者」

 

「日本に住む難民申請者を描くドキュメンタリー作品・東京クルド」の試写を見ようと、やや緊張して画面に向かった私の予想を裏切り、映画はごく日常的な若者のボーリング場面から始まった。

 

※政府に難民申請中だがまだ認定されていない人

 

2人の若者のうち、1人はラマザン(当時19歳)、もう1人の髪を明るく染めている若者がオザン(当時18歳)だ。共にトルコで生まれた幼馴染で、トルコでクルド人が受けている迫害を逃れるため、家族で来日、難民申請した。

 

楽しげにボーリングをする2人の日本語は、目を閉じていれば日本生まれの若者かと思うほど自然だ。彼らは日本で教育を受け、日本で育ったのだと気づく。実際に、ラマザンは9歳で、オザンは6歳で来日し、日本の学校に通った。

 

ラマザン(左)とオザン(右) (C)2021 DOCUMENTARY JAPAN INC.

私の思い描く難民は、テレビの中で遠い国の海でボートに乗っているか、紛争に巻き込まれているか。日本の報道でも、入管で長期的に収容されている大人の難民申請者や、その家族の幼い子ども達を見たことはあった。

 

しかし、その子達が日本で育って成人になろうとしていることや、「難民申請者」という立場ゆえに将来を奪われていることは、この映画を見るまで知らなかった。

 

日本の難民の認定率は、コロナ禍以前は年間0.4%と、実に1000人が逃げてきても4人しか受け入れないという低さだった(コロナ禍以降は難民申請の数自体が減っている)。自国に戻ると生命の危険がある難民たちは、日本に留まり再申請を繰り返すことになる。

 

再申請中は在留資格(日本で生活するためのビザ)がない状態であることが多く、住む都道府県を離れる場合は許可が必要だったり、社会保障が受けられず保険証がもらえなかったりする。そして多くは、働くことを認められていない。もちろん、生活保護を受ける権利もない。

 

在留資格はなくても、教育を受ける権利はある。ラマザンもオザンも高校卒業資格は持っているが、その先の将来を描くことが非常に難しい。

 

映画「東京クルド」は、日本にいること、働くこと、将来に夢を持つことを何度も否定されながらも、「いつか難民認定された時のために」「在留資格がもらえた時のために」と努力を続ける若者の5年間を、静かに切り取っている作品だ。

 

2人は、とても流ちょうに自分の気持ちを話す。日本語が流ちょうというだけではなく、考えを言葉で表現することにも長けている。

 

それは、私のように「難民」と聞くとぼんやりと「本国に帰れない迫害された集団」としかイメージがなかった者に、ラマザンとオザンとその家族が、いかに私とは違う「日本社会での日常」を暮らしているかを教えてくれる。

 

そして、言葉以上に雄弁なのが、彼らの「沈黙の表情」だ。理屈よりも先に、先入観なしのまっさらな気持ちで彼らの表情を見たら、自然と沸き起こる感情があるのではないか。「難民」について何も知らない人にこそ、見て、そして素直に感じて欲しい作品だと思った。

 

「不法滞在」か「非正規滞在」か

東京出入国在留管理局 「東京クルド」(C)2021 DOCUMENTARY JAPAN INC.
東京出入国在留管理局 (C)2021 DOCUMENTARY JAPAN INC.

難民申請者の日常の1つに、出入国在留管理局(入管)への「仮放免許可申請」がある。在留資格がない場合、本来は入管への収容が必要となる。その収容を一時的に免除する制度が「仮放免」だ。

 

ラマザンもオザンも来日してから10年以上、ずっと「仮放免中」であるため、数か月に1度、必ず入管に出向いて威圧的な(映画の中ではかなり差別的だった)職員と面談し仮放免を延長しなければいけない。成人すれば、この許可申請の際に仮放免が認められず、その場で収容されるケースもあるそうだ。

 

入管に収容された場合、どのような扱いが待っているかは、すでに色々とニュースになっている。終わりの見えない収容生活の中で精神的に追い詰められ自殺する人、病気になっても「仮放免されたいための仮病だ」と思われ治療が受けられず最終的に死亡した人、長期収容に抗議しハンストをおこない、そのまま餓死してしまった人もいた。

 

私は報道を見て非人道的な扱いに胸を痛めることはあっても、彼らのように「それが自分の未来かもしれない」という不安を持つことはない。

 

「東京クルド」の予告編は、映画の中でも特に入管にスポットを当てた構成となっている。本編ではもっと2人の日常の場面が多いのだが、一度ここで彼らの肉声や入管とのやりとりを聞いてみてほしい。

 

入管職員に「仕事しちゃいけないって仮放免のルールだよ」と言われ、「なにそれ法律だから正しいの? 法律全部正しいわけじゃないよ」と答えているのはオザンだ。

 

彼は法律に反し、15歳から解体現場で働いている。就労できない難民申請者の生活は、支援者の寄付などでまかなわれている。しかし、それだけでは幼い兄弟もいる生活は支えられない。生きるためには働くしかない。

 

それに対し、入管職員の言葉は「不法だからダメ」の一言。そもそも入管は、外国人の在留資格を審査し、管理する組織だ。はじめから疑ってかかる立場の入管に、難民認定手続きを任せること自体を疑問視する声もある。

 

入管職員に限らず、この「違法だからダメ」「ルールだから守らないと」という考えのもと、「在留資格のない外国人=不法滞在者=日本から出ていけ」、と考える人は多いのではないかと思う。

 

話を少し難民以外にも広げると、在留資格というのは、割とあっさり失うものである。私の夫は外国人だが、もし離婚したら彼は在留資格を失う。また外国人が職場にビザを出してもらっている場合、解雇されたり退職したりすれば在留資格を失う。留学ビザで入国した学生が、コロナ禍でアルバイトができなくなり、学費が払えず退学となれば在留資格を失う。

 

まさに紙切れ一枚の話だが、これらすべて「不法滞在」であり、国外退去の対象となる。アメリカでは、「不法移民」と呼ぶことで実情よりネガティブなイメージがつくことから「Undocumented(書類のない人たち)」と呼ぶ流れに変わってきている。

 

日本でも、「非正規滞在者」と呼ぶ流れがすでにあり、私もそうしている。

 

ちなみに、日本で非正規滞在となった人のうち、9割が退去命令に応じて送還され、残りの1割未満が日本に留まっている。日本に家族がいたり、難民申請者のように帰国すると命に危険が及ぶケースなど、帰れない理由がある人々だ。

 

名古屋入管で収容中に亡くなったスリランカ人のウィシュマさんも、当初は帰国を希望していたが、DV被害を受けていたスリランカ人男性から「帰国すれば危害を加える」との手紙を受け取り、日本に留まざるをえなかったという。

 

確かに、入管職員たちが若きラマザンやオザンにかける言葉は辛辣だ。あれを2か月に1度、面談の度に聞かされるのかと思うとなおさらだ。しかし、入管職員の言葉は、「不法」「ルール違反」と聞くとことで思考がストップしてしまう、日本社会からの言葉ではないのか。

 

「難民」「不法滞在者」「ルール違反をしている者たち」、自分の中にあるそれらの色眼鏡を、一瞬でも外して彼ら個人と向き合う時間を、「東京クルド」は与えてくれる。

 

(C)2021 DOCUMENTARY JAPAN INC.

 

難民は楽しそうに暮らしてはいけないのか

 

最後に、個人的に印象に残った場面がある。

 

もう少し本編の内容に触れるので、すでに映画を見る気になっていて、ネタバレを避けたい人は読まないでほしい。

 

その場面とは、将来の夢のために専門学校に入ろうとしたラマザンが、ことごとく受験を断られる場面だ。

 

在留資格の有無に関係なく、教育を受ける権利があるにも関わらず(もちろん違法ではない)、「前例がない」「留学生ビザがないと無理」などと理由をつけて断られていく。

 

日本社会で生きていて、「前例がない」を理由に断られたことがある人は、けっこう多いのではないだろうか。私の場合、夫が最初に日本で就活した際、日本語能力・在留資格・職務経験すべてが揃っていたのに、夫に「日本で働いた経験がないから」という理由で半年間落ち続けた。

 

あの時ほど、自信を失った夫を見たことがないし、社会に受け入れられない壁を感じただろうと思う。

 

非正規滞在の若者たちは、夢の入り口にすら立てないのだ。この現実を、「彼らは不法滞在だから国に帰ればいい」と切り捨てても、問題は何ひとつ解決しない。それで自分の前から問題が見えなくなったとしても、彼らの毎日は、今この瞬間も日本で続いている。

 

映画を見ていると、ラマザンが自分の後に続く若き難民申請者のために、未来を切り開く努力をしていることに気づくだろう。常に前を向き、ルール違反を犯さず、日本を強く非難することもない。私は、映画を見ながら「ここまで『よい移民』でいなければ、日本社会には認められないのか」と感じた。

 

一方、髪を明るく染め、親元を離れようとするオザンは「自分はラマザンと違ってグレてしまったから」と語る。しかし、映画を見ている限り、オザンは日本語能力が高いがゆえに両親の通訳をしたり、妹の面倒を見たりと、外国家庭の子どもには珍しくないヤングケアラーとして生きてきたのではないか。「難民の子ども」としてではなく、いち個人として生きたいと思うのは、ごく自然な感情だろうと思う。

 

冒頭、ボーリングを楽しむ2人を撮影した時、日向監督にラマザンはこう言ったという。「難民がボーリングで遊んでる場面なんか撮って、大丈夫か。日本人の人達に『難民なのに不幸じゃないなんて』と思われるのでは」、と。

 

彼らにそんな心配をさせる日本社会って、なんなんだろう。ぜひ一度、ラマザンとオザンの5年間を見て、考えを巡らせてみてほしい。

 

東京クルド 公式サイト

監督:日向史有 上映時間:103分

7/10(土)より東京 シアター・イメージフォーラム、大阪 第七藝術劇場にて緊急劇場公開、ほか全国順次公開 劇場情報 

2021年|日本|103分 © 2021 DOCUMENTARY JAPAN INC.

 

今、私たちができることは

 

もしすでに、入管の問題などに心を痛めて「何かしたい」と思っているなら、収容者や難民(申請者含む)を支援する団体は数多くあるので、そこに寄付するだけでも彼らの生活支援になる。

 

そして今の日本で、日本国籍者にはできて、外国籍者にはできないことの1つが「選挙への投票」だ。2021年5月、世界的に見ても厳しい日本の難民政策を、さらに厳格化させる入管法の改正が、世論の反発もあり見送られた。

 

しかしまだ現状維持となっただけで、日本は世界約140か国が採用している難民条約に加入しているにも関わらず、人道的な政策が取られているとはいえない。

 

選挙の時に、入管問題の改善を訴える政党や、そもそも難民認定は入管以外の組織がやるべきだと主張する政党に投票することは、日本国籍者にしかできない意思表示である。

 

非正規滞在者の問題は、以前より広く知られるようになってきた。「知って終わり」ではなく、その1歩先へ踏み出すために、自戒もこめて私はこのブログを書いている。

 

ここまで読んでくださった方には、ぜひ映画も見てほしいと思う。

 

 

ブログ執筆にあたり、NPO法人難民支援協会のサイトやフォトジャーナリスト安田菜津紀さんの記事、ニッポン複雑紀行、6月20日「世界難民の日」におこなわれた様々なイベントの内容を参照しました。

また、画像を配給会社 東風よりご提供いただきました。

 

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