井の中の蛙状態が嫌でメキシコに飛び出したわたし。
日本には、親が倒れでもしない限り帰るつもりはなかった。やっと実家を離れた学生のように、自分が選んだ場所で、第二の人生を始める気でいた。
※前編がまだの方はこちらからお読みください。私が日本を出た理由を書いています。
日本が嫌で海外に飛び出した私が、2年で帰ってきた理由【前編】
そして1年後
↑メキシコシティで2年間、下宿していた部屋。私の安全地帯。
ベッドに寝転がって、天井を眺めていた。ぼーっと。
日本では、ぼんやりすることなんて無かった。いつも将来どうしたいか、どうするべきかを考えていたし、今の環境から逃げ出す計画を立てていた。
そんな私に、フランス暮らしから帰ってきた女性は言った。
「いつか、安定したいって思うときが来るのよ」
私の安住の地は日本じゃない。だからメキシコにいる。
最初の1年は風のように過ぎた。仕事は楽しく、学生たちはすばらしかった。
でも同僚の日本人たちとは気が合わなかった。
いや、勝手にもっと気が合うものだと勘違いしていた。同じメキシコの地を目指した人たちだったから。でもそうでもなかった。
むしろ狭い日本人集団の中で、より強固に「日本的な空気」が、そこにはあった。
私はひとつの井戸を出て、またちがう井戸にぽちゃり、と落ちたのだ。
夢を叶えた先に
最初の1年で、メキシコ旅行もキューバ旅行もし、望んだ毎日を送っていた。
毎日は濃密だったけれど、慣れると日本より時間がある。
夜遅くまで出歩くのが危険なので、なるべく日が出ているうちに帰宅して、図書館で借りた本を読みあさった。
ふと文字から目を離し、ぼーっと天井を眺める。
頭には何も浮かばなかった。これからのことも、何も。
(ああ、ぜんぶ叶えてしまった)
ずっと海外移住を目標に、それだけをモチベーションにやってきた。夢を叶えた今、残ったのは空っぽな気持ち。叶えられた夢の先にある、くり返される日常。
メキシコでも我慢することはあった。耐え難いことも。でも日本のように、そんな気持ちを共有できる人は誰もいなかった。
今の私の人間関係はぜんぶ、仕事つながりだ。同僚の教師と、メキシコ人の学生たち。無責任にネガティブな気持ちを吐き出せる相手ではない。
日本に2人だけ、ずっと連絡を取り合ってる友達がいて、話を聞いてもらうと楽になった。
でも時差が真逆だから、返事が欲しいときにメッセージは返ってこない。
既読がつかないスマホの画面を見ながら、「なんでこんな気持ちを抱えているのかなあ」と自問自答する夜。
「もっと話したいから、飲みに行こうよ」と当たり前に言えないことが、じわじわ響いた。
夢を叶えた私は、孤独だった。
メキシコで得たもの
それは、日本で感じたことのない感情だった。
寂しいのでも、悲しいのでもない。
ただ何を感じても、吐き出せる場所がない。話せる相手がいない。ケンカする相手すら、いない。淡々と過ぎる毎日。
当時、中南米を旅行中のカップルが強盗に殺される事件が起きた。
テロ組織に人質になった日本人も、殺された。
私がここで明日強盗に撃たれても、誰も助けないだろう。誘拐されても、日本政府は動かないだろう。
「そんな危ないところに行ったお前が悪いのだ」と言われるだけ。
自己責任。その言葉について考えたとき、気づいた。
私は、責任をとる人生から逃げていたのだ。それは仕事の責任とか、そういうのではなくて。
できたら根無し草的に、好きな国を転々としながら、誰にも邪魔されず、干渉されずに生きていきたいと思っていた。誰の人生にも責任を取りたくなかった。
自分の人生にも責任を取りたくなかった。
私が望んで手に入れた、孤独だった。
たとえ井戸の中でも
どこに行っても井戸は井戸なのだ、と気づいてから、よく妄想するようになった。
たくさんの友人に囲まれなくてもいいから、ひとり、たったひとり、人生を共有できる相手がほしいなあ、と。
旅先で一緒にきれいな景色を見たり、おいしいものを食べたりできる人。
おもしろそうな映画があったら、一緒に見て感想を言い合える人。
町で見かけた変な人や、日常のどうでもいいことを気を使わずに話せる人。
自分でも面白いかわからないような、そんな話を伝えたくなる相手がいたとしたら、それはもう「愛してる」ということなのだ。
一緒に井戸を出よう
まだ夫と付き合う前に、彼はなんで日本に住みたいのか教えてくれた。
「メキシコでの生活は自分にとって簡単すぎる。何も考えなくても、毎日仕事に行って、給料をもらって、週末パーティに出て、人生が終わっていく。でも日本での僕は、常に挑戦しなければ暮らせない。だから、行きたい」
そこには2年前の私がいた。私はもう、夢を叶えた先に待っているのが、また別の井戸だと知っている。
でもそれは、出てみなければ気づかない世界。
「彼の夢を叶えたいなあ」
心からそう思った。自分の、ではなく、他人の夢を叶えたいなんて初めて思ったことだ。
もうどこに住むかは、あまり重要ではなくなっていた。
彼の夢を手伝いながら、私にまた別の夢ができたら、それに向かって進むのだ。
プロポーズのとき、彼は言った。
「ヒトミと一緒に旅行したい、映画が見たい、おいしいものが食べたい。全部ヒトミと一緒にしたい」
うん、そうだね。あなたがそう思っていたことも、私は知っていた気がするよ。
そして日本に戻ってきた
2年半ぶりの日本を、私は外国のように見た。
あんなに嫌で嫌で出たかった町。
私が出たかったのは日本ではなく、自分を縛る井戸だった。
人の作った井戸に寄生しては、気に入らないと逃げていたのだ。
とりあえず、ここに自分たちの井戸を掘ってみよう。快適に暮らせるようアレンジして、それでも窮屈になったら、また別の場所に掘ればいい。
ふたりならサクサク掘れるし、助け合えるし、知恵も出し合える。
狭い狭い井戸だから、誰でもウェルカムというわけじゃない。よっぽど信頼できる人じゃないと、一緒には暮らせない。
これからも私は、今の井戸を快適にするために、ほかの井戸にぴょんぴょん跳ねて行くだろう。そしてまた戻り、「こんな面白いことがあったよ」とお互いに報告し合って、年をとっていく。
安住の地は、まだここではないのだ。
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