お久しぶりの、バーテンダーシリーズ第三弾。
今回は「お不倫」編でございます。
バーカウンターは、不倫の宝庫。あっちを見ても、こっちを見ても意味ありげに視線を交わす熟年男女。
そう、恋は若者だけの特権ではないのです。このバーのお客様の主流は50~60代。人は年をとるほど、欲望に忠実になるのでしょうか…。
「墓まで持って行くのよ」
「あのねえ、ふうりんかざん、ふうりんかざんだったの、私たち」
彼女は目をキラキラさせて言った。
「……はあ。」
私が間の抜けた返事をしたのは、「ふうりんかざん」が「不倫」の意だとわからなかったからではない。目の前の、60代の「オバチャン」が不倫の思い出を語ることに驚いたからだ。
「だからね、ふうりんかざん、だったの。わかる?」
私が理解してないと思ったのだろう、楽しそうにそう何度もくり返した。そしてそのまま、話を続ける。
「彼ねえ、若かったのよ。かなり年下。30後半だったんじゃないかな。A子さん、好きですぅ、って、言われてねえ。
いや、やめましょ、て言ったのよ。私は子供もいるし、もう、そんな年じゃなかったから。
でもねえ。彼もあきらめなくってね。それで、ふうりんかざんよ。ほっほっ」
楽しそうなお付き合いは、長くは続かなかったらしい。いや、節度ある(?)彼女が、続けなかったというべきか。
だからこそ今もこんなに楽しそうに、うれしそうに話せるのだろう。
「これは墓まで持っていく話。いい思い出よ」
私は当時、20代半ば。自分の母より年上で、どこから見ても「大阪のオバチャン」な彼女からそんな恋物語が出てくるなんて、ただ驚いた。親が恋愛してるところが想像できないのと同じ。
また別の日、彼女は言った。
「私があなたのように、今の時代に生まれてたらねえ…。
たぶん、こんなこと言っちゃダメなんだろうけど。
結婚してなかったと思うの。子供を生まずに、仕事を続けたかった。
家族は大事だし、後悔してるわけじゃないのよ。でもね。あのときは、結婚するしかなかったから……」
人には、親でさえ、私の想像できない思いがあるのだ。「もしあの時、ああだったら」という別の人生が。
そう気づいた瞬間だった。
なぜかモテるオッサン
そのお客様は、西川のりおの顔をさらに大きくしてビックリマンにしたみたいな、アラレちゃんの漫画に出てきそうなオッサンだった。
スーツを来て部下を連れてくるので役職のある人なんだろう。
いつもニコニコして、女の子には「デートしよや」みたいなソフトセクハラ発言をするオッサンだったが、体に触ってこなかったので、バーで働く女子からしたら「愛想のいい扱いやすいオッサン」だった。
ある日、いつも部下とテーブル席に座る彼が、珍しく女の子(といっても30代。50代のオッサンからしたら女の子)を連れてカウンターに座った。
オッサンはあからさまに口説いていたわけではないが、いつものようにニコニコしながら、いつもみたいなジョークを飛ばしていた。
彼女は、あきらかに嫌がっていた。気が強そうな(でも不幸そうな)顔で、うさんくさそうにオッサンの言うことを聞いている。
彼がトイレに立ったとき、彼女は私に聞いた。
「あの人、いつもああなんですか? なんか、今日初めて一緒に飲んだんですけど…。誰にでもああなんでしょ?」
私は曖昧に「まあ、いつも楽しい感じですねえ」などと答えたと思う。
それが。
次来たら、彼女はオッサンに、落ちていた。
もうカウンターには座らなかった。テーブル席で横並びに座り、うれしそうにキャッキャウフフと話している。
バーの女子スタッフはざわついた。
「なぜあのビックリマンが…!?」
バブル時代にホストだった店長だけが、おごそかに言った。
「あの人、モテるよ。男から見ても魅力的やもん」
ああ、私には修行が足りない。オッサンが持っているのは、カネか、有能さか、それとも目に見えないテックがあるのか。
おしえて、オッサン。
トレンディドラマを生きる彼女
40代の彼女は、どこかバブルの風が吹いていた。
前髪は軽く立ち、肩パッドが入ってそうな細身のスーツをぴしっと着ている。
仕事はできそうだけど、こんな人が会社にいたらちょっとびっくりするかも……というギリギリライン。
でも私のことを気に入って、いつも話しかけてくれた。
なぜなら彼女にとってここのカウンターは、秘密のデートの場所だから。そして私は唯一、思い切り恋バナできる相手なのだ。
彼は背が高くシュッとしていて、同じく40代。先に仕事が終わった彼女がカウンターで待ち、残業終わりの彼がやってきて二人で飲み、チュッチュし始める。
不倫のお客さんは「チュッチュして見られたい」派と「あくまで”嫁です”と言い張ってしっぽをつかませない派」に分かれる。
ただし本物の夫婦と「夫婦を装った不倫カップル」との間には、隠しても隠しきれない大きなミゾがあるので、大抵気づいてしまう。
さて、このバブルお姉さん、不倫関係も90年代トレンディドラマのようだ。
お姉さんと、その夫と、不倫相手はみんな同じ会社で働いている。
しかも夫と不倫相手は同期。お互いによく知る相手だ。
配役すると、石黒賢と織田裕二? 唐沢寿明と江口洋介? 彼女はぜったい、千堂あきほ。(前髪立ってるから)
お姉さんにはかわいいひとり息子がいる。確か小学6年生くらい。
物分かりがよく、ママがデートで遅くなるときも
「今日、飲んで帰るねぇ~って言うと、”晩ごはんのお金ちょうだい。あと、飲み過ぎちゃだめだよ”って言うの~。もう、かわいいのよ息子~~っ」
らしい。
う~~ん、息子、不倫気づいてないか?と思わんでもないが、母は不倫をやめられない。だってこんなに燃え上がってるんだもの。
夫も彼女も不倫相手も、それぞれ責任ある役職につき、多忙で、家庭をかえりみるヒマがない。ストレスフルな毎日の中に咲く、一瞬のあだ花。
ふたりで一杯飲んで、いい感じにイチャついたら、さっとお会計してホテルに消えていく。それで明日からまたがんばれる。てっとり早いドリンク剤。
数か月が過ぎたある日、彼女がひとりでやってきた。最近は、彼と会わない日もふらっと寄ってくれる。
「彼ね~~。転勤するのよ、東京。まあ、前からわかってたんだけどね」
「どうするんですか?」なんて野暮なことは聞かない。
「息子も、今年受験だしさ。あたしも母親しなきゃな~~って。もともと深入りする気はなかったし~。だって夫の同期だよ~~。お互い家庭もあるしさあ。
私は息子がかわいいし、ね」
そう誰に語るともなくつぶやきながら、ひとりでビールを飲んでいた彼女。
そのあと、姿を見せることはなかった。このカウンターは思い出が多すぎて、耐えられなかったのかもしれない。
毎日を乗り切るドリンク剤は、どれだけの虚しさと引き換えに、手に入れたものだったのだろう。傷ついたのは、傷つけたのはどっちか。
いつか彼女もオバチャンになって、「墓まで持っていくんだけどね」と誰かに話すことがあるのだろうか。
不倫してみたいオジサン
50代、いつもカウンターで静かに飲んでいる気のいいオジサン。
他愛ない話を好むお客様なのに、ある日ちょっとまじめな顔でこう聞かれた。
「自分には守らなきゃいけない大切なものがあって、でも反対にやりたいことがあるとする。それをしてしまうと、必ず大切なものを傷つけるとしたら……あなたならどうする?」
「……」
なんだその謎かけ。もっとストレートに言ってくれ。
「やりたいこと、やってもいいのかなあ…。その一歩が踏み出せないんだよなあ…」
オジサンの顔はけっこうマジだ。これは下手な答えはできんぞ。
しかし、明らかに「不倫していいかどうか悩んでる」感じだ。でも、いつも奥さんの話も気軽にしているオジサンが??……だまされてんじゃないの?
私の頭はフルスロットル。何と言えば、やんわりとオジサンをこちら側にひき戻せるか。アカン、だまされてる、だまされてるよ!
「だ…大事なものがあるなら、それを壊すリスクをもう一度考えたほうがいいんじゃないですか。壊れたものは、もう戻せませんよ」
「そうかあ…」
そうだ、オジサン、あんたもう50だろ、今から妻子を失ってどうするんだ!気の迷いだ、やめときなさい!!
オジサンは私が背中を押してくれなかったので話が弾まず、話題を変えた。
「今度、映画館にヘルタースケルター見に行くんだ」
えらい若いお相手なんですね、オジサン。それで浮かれているのか。
「……沢尻エリカ、脱ぐと思う?」
あ、これはあかんわ。そんなこと言ってちゃあ、お望みの結果は得られませんよ。ビックリマンオッサンの爪の垢でも煎じて飲んでくれ。
そしてそのあとは、どうか自己責任でお願いします。
※その他のバーテンダーシリーズはこちら。