外国人の夫が救急車で運ばれた話~後編~

前編の続きです。

夫が自転車で転倒、ケガをして救急車で運ばれ、処置が終わった帰宅後の話になります。

※途中、ケガの描写が出てきます。苦手な方はご注意ください。

 

9月30日、正午ごろ

 

2時間ぐらい眠った頃だろうか。

夫がトイレに起きる気配で目が覚めた。

顔を起こすと、私の助けも借りずにスタスタとトイレに入っていく夫の後ろ姿が見えた。

 

心配になって、ものすごく眠い体を無理やり起こし、戻ってきた夫に声をかける。

「大丈夫? 気分、悪くない? 頭の中が痛い感じ、しない? めまいは? 首はどう?」

 

医師にもらった「注意事項」に書かれていた内容を思い出しながら質問する。

 

「大丈夫だけど、お腹すいた」

「何が食べたい?」

「ピザ」

「あるよ。作るから、ちょっと待って」

 

夫はオーブンで焼くだけの冷蔵ピザが大好きで、昨日たまたまスーパーで安売りしていたのを見かけ、何枚か買っていたのだ。

ちなみにうちにはオーブンがないので、夫が発明した「炊飯器でピザを炊くとふっくらする」という調理法を採用している。

 

「コンピュータ、とって」と言われて、リビングにあった夫のMacを手渡す。

「もっと寝たほうがいいよ」

「もう眠れないから、ちょっと映画見たい」

 

横になったまま動画を再生する夫を見ながら、(だいぶ顔色が悪いな)と思った。

早く痛み止めを買ってきてあげよう。

 

私も寝不足でふらふらだったが、動く気力があるうちに買い物に行っておきたい。

夫に何度も大丈夫か確かめて、財布だけ持って家を出た。

 

9月30日、12時半

 

近所のドラッグストアで、ロキソニンを買った。

何種類かある中で、一番効果が強いと書かれているものを選ぶ。

 

日本の市販薬はメキシコのより弱いので、ふつうのでは効かないかも、と思ったのだ。

パッケージにアルファベットで「LOXONIN」と書いてあるので、夫にもわかりやすいだろう。

 

それから頭に貼る用の、替えのガーゼを探す。

さっき検索したら、どうやらふつうのガーゼをそのまま貼ると傷にくっついて乾燥させてしまうことがあるらしいので、そうならないように作られている傷パッドを買った。

傷が7センチあるため、一番大きいサイズでもギリギリだ。

 

医師も「傷が乾燥しないように気をつけてください」と言っていたので、必要だろう。

レジに持っていくと、薬剤師が丁寧にロキソニンの眠くなる副作用について説明しだした。

聞いてるフリをしながらも(早く終わってくれ)と思う。

 

やっとドラッグストアを出たところで、夫に「大丈夫?」とLINEした。

 

返事が来ない。既読にもならない。

 

(気づいてないだけだ)

そう思いたいのに、どんどん不安になる。

スーパーに行くのはやめて、小走りでマンションまで帰った。

 

玄関を開け、声をかけると、一瞬の沈黙のあと、奥から弱々しい返事が聞こえた。

 

寝室を見ると、私が出たときと同じ姿勢で、Macを見ている夫の姿がある。

やっぱり気づいてないだけだった。

 

炊飯器を見るとまだピザができてなかったので、再びスーパーへ出かけ、夫の好きなものばかりを買った。

明日はセミナーで私が終日家を空けるため、レンジで温めるだけのものばかり選ぶ。

 

セミナーに行かないわけにはいかない。

このために、みんな何か月も前から打ち合わせを重ね、準備してきたのだ。

 

とっとこさんだって、私生活で大変な思いをしながらも、セミナーを成功させるためにがんばってきたことを知っている。

それを無駄にはしたくない。

 

急いで買い物を済ませ、家に帰ると、ピザが炊き上がっていた。

布団で食べる時に必要だと思い、Amazonのダンボールを組み立てて小さなテーブル代わりにし、その上にお皿を置く。

 

ピザを食べた夫に、痛み止めを飲ませると、薬の副作用か、またすやすやと眠った。

 

私は寝室が目に入る位置でパソコンを立ち上げ、請求書を一通つくって送ると、もう何もする気が起きない。

なので、医師からもらった注意事項にスペイン語訳をつけた。

夫には、簡単な言葉で伝えてもいいんだけれど、やっぱり「体が動かなくなる」と「麻痺がでる」では、受けるニュアンスが違う。

できる限り、情報は正確に伝えたほうが、本人も安心するだろうと思った。

 

さらに、夫の保険証に住所を書いて、備考欄に私の名前と携帯番号も書いておいた。

今回は家の近くでの事故だったため、夫は自力で帰って来れたが、今後を考え、保険証は夫の財布にしまった。

 

やがて夫が目覚めると、さっきよりかなり気分がよくなっているようだった。

自分でリビングの座椅子を寝室に持って行って、今度は座りながら映画やYoutubeを見ている。

 

さっきスペイン語訳をつけた紙を夫に見せて、一つずつ症状を確認していく。

明日の私のスケジュールも伝え、「すぐ連絡とれるよう、スマホは常にチェックしてほしい」とお願いした。

 

それからは、どう過ごしたかよく覚えていない。

ひたすら夫の顔色を見て、大丈夫かと質問をくり返した。

 

夕方、吉見さんがタクシーで、今夜の結婚パーティに持っていくはずだったプレゼントを取りにきてくれた。

そのとき、駅で買った豪華な神戸牛のお弁当を差し入れてくれた。

 

それを見た夫の顔が少し明るくなる。その変化がうれしかった。

 

夜、夫が寝たあとも、夜中に何度も目が覚めた。

寝息が静かすぎる時は、そっと顔を近づけて呼吸を確認した。

長い夜だった。

 

10月1日、セミナー当日

 

よく眠れないまま、目覚ましより先に起きた。

夫の寝顔を確かめて、そっと布団から出る。

 

早く起きすぎたので、昨日寝る前にやろうと考えていた、「救急車の呼び方」を紙に書いた。

どういう状況で夫が見てもわかりやすいように、簡単なスペイン語と、住所などの部分はふりがなもつけて。

書き上がった紙と、保険証と、夫のサイフを、枕元のスマホ横に置く。

 

(使うことがありませんように)

 

と強く願いながら。

 

気配で目覚めた夫に気分などを確認すると、昨日よりだいぶましになっているようだった。

「僕は大丈夫だから、がんばって」

という言葉に後ろ髪をひかれながら、家を出る。

 

秋晴れのいい天気で、気持ちが前向きになる空だった。

 

セミナー会場に着いてからも、30分おきにLINEして無事を確かめる。

自分が講師として話している間も、手元にサイレントモードにしたスマホを置いていたが、見る余裕はなかった。

参加者のみなさんの熱気に、こちらもたくさんパワーをもらった。

 

ランチ交流会の前に少し休憩があったので、非常階段のところで夫に電話した。

声を聞いて、少し安心する。

 

「僕はずっと家でゆっくりしてるから。ヒトミ、心配しないで。遅くなっていいから」

 

私が何も言ってないのに、今日打ち上げに出ずまっすぐ帰ろうとしていることを気遣ってくれた。

「私は大丈夫。夕方に帰るから」と伝え、電話を切った。

 

でも、セミナーの熱気を見ているうちに、だんだん打ち上げに出たくなってきた。

もちろんお酒を飲むつもりはない。

しかし、前々から「打ち上げでの講師・スタッフの振り返りのようすをブログに書きたい」と案を練ってきたのだ。

 

セミナーの感想は、参加者の方が書いてくれる。

しかし、主催者側の感想は、私にしか書けない。

私は、自分だからこそ書ける記事が、書きたかった。

 

セミナーが無事終わり、再び夫に電話する。

「遅くはならないけど、今から少しだけ、みんなとごはんを食べに行ってもいい?」

「どうぞ。僕は家でゆっくりしてる。心配しないで」

 

夫の声はしっかりしていた。

私がずっと横で心配そうに見張っているより、のびのびできているのかもしれない。

 

打ち上げでは、ずっとジンジャエールを飲みながら、みんなにインタビューしたり、楽しく過ごした。

しかし、おとといからよく寝ていないので、疲れもピークだ。

先にひとり、自転車で家路についた。

 

10月1日、20時半

 

家に帰る前に、ドラッグストアで新しい傷パッドを買った。

店を出たところで、リュックに入れたパソコンの重さに引っ張られ、ふらっとコケてしまった。

 

目の前に立っていた男の人がぼんやりこっちを見ている。

「いた…」とつぶやきながら立ち上がり、限界に疲れていることを感じた。

ねんざが治りかけていた左足が、また痛んだようだ。

 

夫からLINEが来ている。

 

「頭のところ、大きくなってる」

「目が変」

 

嫌な予感がした。

自転車でも転ばないように気をつけながら、精一杯急いで帰った。

 

21時ごろ、帰宅

 

家に入ると、夫は洗面所の鏡で傷を見ていた。

 

「大丈夫?」

 

ふり返った夫のまぶたが、真っ赤に染まっている。

傷の下のまぶたが内出血したようになり、目も赤い。

おでこも腫れていた。

 

(もっと早く帰ればよかった)

 

そう思いながら、どうするべきか考える。

 

(また救急車を呼ぶ? それとも近所の救急病院に電話して、診てもらえるか聞いてみる?)

 

軽いパニック状態。

夫のほうが冷静に言った。

 

「病院に電話して、大丈夫か聞いてみて」

 

そうだ、昨日診てもらった病院に電話すればいいんだ。カルテもあるし、救急だから夜も開いてる。

さっそく電話し、看護師に事情を話す。すぐに医師に相談しに言ってくれた。

返事はこうだった。

 

「緊急性がないようなので、明日の朝、診察に来てもらえますか」

 

確かに、緊急性はなさそうだけど…。

でも、このままひと晩過ごすのもかなり不安。

 

夫に聞いてみると、「明日まで待つ」とのことで、心配そうにしながらもシャワーを浴びにいった。

 

シャワー中に夫が倒れたりしないか耳をすませながら、本当に朝まで待って大丈夫か考える。

またもネットで検索したくなる気持ちを、必死で押さえた。

 

父に電話しようか。

でも、父にだって判断できないだろう。責任をかぶせるのはやめよう。

 

昨日からやりとりしている、娘が難病で何度も救急に運ばれたことがある友人に、LINEした。

彼女からは、不安を軽くするようなメッセージがたくさん帰ってきて、気持ちが落ち着いた。

 

(よし、明日のために、保険証を預かっておこう)

 

夫の財布を持ってきて、自分の財布に保険証と診察券を入れ替える。

シャワーの音を聞きながら、不安で涙がにじんできた。

 

(今は泣くべきじゃない)

 

そう思って必死で我慢する。

不安で泣きたいのは、私じゃないのだ。

 

夫がシャワーから出てきた。

平静を装うために咳払いをひとつして、何気ない声で「大丈夫?」と聞く。

 

夫は近くにやってきて、私の手元に自分の財布があるのを見つけ、

 

「え?僕の財布、どろぼうしたの?」

 

と小さく言った。

「ちがうよ、保険証をとっただけ」

「ふうん、そっか、どろぼうしたんだ」

 

私が泣いてることに気づいてないはずなのに、冗談を言ってくる夫に笑った。

 

(しっかりしないと)

 

もう一度自分に言い聞かせ、再び、よく眠れない夜の中へ落ちていった。

 

10月2日、9時

 

起きると、昨日赤くなっていた夫の片目は、まぶたが腫れて開かなくなっていた。

雨も降っていたので、タクシーで病院に向かう。

 

土曜とは違う男の医師だった。

「この前の先生から、翌日には話を聞いてましたよ」

と最初に言われて、ホッとした。

 

ほかにも、「顔は腫れるのも早いけど、治るのも早いから」など、安心させることをたくさん言ってくれた。

 

土曜に抜糸することが決まり、痛み止めも処方してもらって、帰りはバスで帰った。

 

夫は会社に行く気だったけれど、片目が開かないので休むことにした。

私も、そのほうが安心できる。

 

午後には目が少し開いてきて、病院で診てもらった安心もあり、顔色がますます良くなってきた。

 

10月3日、会社へ

 

昨日は、目覚めると夫の目がまた腫れていたので(寝ている間に腫れやすいのだそうだ)、眼帯を買って、一緒に会社近くまで行った。

 

何かあったらすぐ駆けつけられるように、私も外のカフェで仕事をする。

寝不足と毎日の緊張で、吐き気が止まらない。

私にも休みが必要だ。

 

夫の仕事が終わるのを待って、一緒に帰った。

夫は疲れていたが、具合は悪くなさそうだ。首の痛みも引いたみたい。

 

10月4日、現在

 

そして今日、夫は眼帯をして、ひとりで出勤していった。

私は昨夜、あまりに気分が悪くて眠れなかったので、このブログの前編を書いた。

 

すると、今までのストレスがスッキリと消化されたように感じ、久しぶりによく眠ることができた。

夫も、顔のすり傷はほとんど治り、目の腫れも少しずつ引いてきている。

 

今朝は一緒に鏡を見ながら、「昨日より、すごくよくなってるよ!」と夫をはげました。

いつまでも暗い顔をしていても仕方がない。

 

少しずつ、いつもどおりの生活に戻っていけたらと思う。

 

ご心配いただいたみなさん、ひとまず、夫は大丈夫そうです。

温かいお言葉をたくさん頂いて、本当にありがとうございました。