↑2011年、キューバで食レポ風に撮った写真。
キューバの写真でいつも目が輝いているのは、そう、
モテたから!!
モテとは程遠かった学生時代
まずは私が日本でモテなかった理由を発表します。(ジャージャン!)
・3歳下に双子の弟がいる長女。生意気で理屈っぽくて気が強い
・小学校6年で身長163cmあった。クラスの誰よりもでかかった
・6歳から習ってた柔道と水泳で肩幅がっちり、骨太
・男の子になりたかったので制服以外のスカートを高校まで持ってなかった
・男の子になりたかったので髪型はいつもショートカット
昔からクラスの女子のグループ制度とヒエラルキーが好きではなかったので、男友達ばかり作っていた。
好きな男の子はコンスタントにいたが、モテるのは常に細くてかわいい女の子。
小学校の卒業式、私もそれなりに寂しさは感じていた。
でもほとんどが同じ中学に行くし、泣くほどではない。
式のあと、クラスのかわいい女の子が号泣し、先生に泣きついた。
私はそれを横で見ていた。
泣きつかれた先生が「ほら~、この子かわいいやろ?」と隣にいた先生に言った。
その時、その隣の先生が私をチラッと見たのを覚えている。
私はどんな顔をしていたのだろう。
「あ、私、大人から見てもかわいくないんや」と気づいた瞬間だった。
女らしさを勘違いしていた20代
大学生の時、モテてる女の子には2種類いた。
・キレイな子
・男がいないとダメな子
前者にはなれなかったし、後者にはなりたくなかった。
まわりの友達が社会人彼氏の話や、「昨日行ったラブホの話」をするのを、曖昧にうなづきながら聞いていた。
しかし内心では色気づき、好きな男子にアピールもしていた。
それまで見た目にまったく無頓着だったのに、急に梅田で服を買うようになったり。
ていうか「梅田に行くための服をまず買わなくちゃ」って感じで、大阪の中心に生まれながらまったくアカ抜けてなかった私。
雑誌を熟読して化粧をしては男子にあっさり
「目の上、なぐられたん?バンコラン?」
と言われる日々。(せめてマライヒがよかった)
美しさは外面を取り繕うことだと思ってた。
世間がそう言ったから。
でも別に私は、モテたかったわけではない。
好きな男の子に自分も好かれたらどうなるのかしら…
そんな、恋に恋焦がれ恋に泣く、夢見る処女…いえ、夢見る少女だったのだ。
それに自分がモテるなんでぜったいむりだと信じていた。
キューバですべてが変わった
キューバに行く前から、本やブログで「日本人の女の子は珍しいのでめっちゃ声かけられる」ということは知っていた。
しかし実際にハバナの町を歩くと想像以上だった。
こんな骨太な私、太ももがふとくてスキニージーンズが履けない私、女らしさのかけらもない私が、5メートル歩くごとに
「かわいいね!」
「きれいだ!」
「ディスコ行かない?」
「君は本当に美しい」
と声をかけられる。
ちなみに目立つ女の子が歩いていると声をかけるのはキューバ男の習性らしい。
イイ女はそれを無視して颯爽と歩く。
当時スペイン語もままならなかった私は「声をかけて来たイイ男についていく」なんてことは恐ろしくてできなかったけど(今もできないけど)、「常に男性に見られ、常に女性として扱われる」ことをこんなに毎日経験したのは初めてだった。
きっと美人な人とかボインな人は、日本でも毎日こんな感じなんかな…とうっすら思った。(ボインて)
女性として尊重されることの楽しさを知った
子どもの時から、男の子になりたかった。
泣き虫なくせに、すぐ泣くのは「女っぽくて」嫌だった。
強くなりたかった。
ピンクのものやヒラヒラした服が嫌いだった。
自分にはぜったい似合わないと思っていたから。
父親が誕生日にピンクのドレスのお人形をくれたことが理解できなかった。
大学を出てバーや居酒屋で働いて、「はっきりNOと言えないスキのある女の子」はストーカーやセクハラ被害に遭いやすいのだ、と知った。
もっと肩に力が入った。
「舐められてはいけない」
常に何かと闘っていた。
キューバの「女・子どもファースト」は徹底している。
例えば、キューバで激コミのバスに乗る。
安いというか、ほぼタダなので、いつも東京の満員電車並だ。
そんな車内の移動がままならない中でも、「女・子ども」が乗っていると年齢に関係なく誰かが席を譲る。
外国人の私も例外ではない。
最初は毎回「え、だって私まだ若いし」と断っていたけど、だんだんそのやりとりがめんどくさくて素直に座るようになった。
そしてバスを降りるときは必ず先に降りた見知らぬ男性が数人、スっと手を差し伸べて降りるのを手伝ってくれた。
いつも複数差し出される手の中からひとつを選んで降りる私、プリンセス。
向こうからモテが寄ってきた
キューバ、というか中南米では
「足が太い」
「おしりが大きい」
はセクシーの代名詞。
おっぱい優勢の日本とはちと違う。
私はずっと「太ももがふとい」ことがコンプレックスだったので(日本でジーンズを買いに行って「あんたに合うサイズないよ」と断られたことがある)、キューバでも最初ワンピースの下に黒いレギンスを履いていた。
しかし宿のお母さんに一蹴された。
「その暑苦しいの、脱ぎなさい。ここでは肌を出すのがかわいいの。ヒトミはもっとセクシーにならなきゃダメ!」
セ、セクシーすか。
そう、キューバでセクシーは絶対。
セクシーは正義。
足を出すの、猛烈に抵抗があった。もう、猛烈に。
でもキューバは実際暑かった。
ショートパンツで歩くのは理にかなっていたし、周りを見てもミニスカ、ホットパンツは当たり前だった。
そしてキューバ女性はみんな私より太く、おしりが大きく、でも堂々としていた。
キューバ男性はみんな私より背が高く、マッチョで、並ぶと私でも華奢な女に見えた。
私はアジア人。
キューバでは珍しいストレートの黒髪を持っている。
ここはキューバ。
日本でいうモデル体型は「ガリガリで醜い」という価値観の国。
そこへアジア人だけど足が太い私、登場。
爆裂にモテた。
ああ、世の中には需要と供給があって、私が供給されるべき国はここやったんやな…。
そして私は生まれ変わった
調子に乗った私だが、キューバ人彼氏はできなかった。(一夜のアバンチュゥルさえも!)
表向きモテても、内面がモテに慣れていないためやっぱり怖かった。
キューバで同じようにモテて、短期間で恋に落ち1週間で結婚する、というような人もいる。
そこまで突き抜けていっときの恋に溺れられる状態が正直羨ましかったけど、私はそこまで依存性は高くなく、自尊感情は高かったのだ。
でもすんごい楽しい思いをさせていただいた。
ワンチャンはなかったが、キューバのスター歌手に見初められて20人ぐらいのバンドメンバーと一緒に全国ツアーを回ったりもした。
逆ハーレムな毎日、ちょっとおしゃれをすれば
「美しすぎる」
ネイルを変えれば
「その色似合うね」
と何をしても大当たり、一生分のモテを使い果たしたと思う。
私はキューバで「女らしくない」というコンプレックスのすべてを捨ててきた。
人生前向きになった
他人から受け入れられる、ちやほやされるというのは単純に気持ちがいい。
「いいところは具体的に言葉でホメる」
「私なんて…と卑下する相手を全力で否定する」
「相手の魅力的な部分を見つけたら、本人が気づいてない可能性があるので指摘する」
自分がされて嬉しかったことは日本でもしている。
私がキューバの男友達に教えてもらったのは、写真を撮る時に歯を見せて笑うこと。
それまでの写真は、全部くちびるを閉じて微笑んでいたので、履歴書の写真みたいだった。私の写真を撮ってくれた男友達が
「ヒトミ、もっと歯を見せて。その方がぜったいかわいい」
と断言してくれたので、それ以降冒頭の写真のような笑顔に変えた。
もう、日本でどう思われようと気にせず、女らしい服もそうでない服も、好きなのを着るようになった。
「別に日本人にモテなくてもいいわ」という変な開き直りもあった。
今は結婚してノーメイクで梅田に出ることも平気になってしまったが(…)
キューバで本気出せばいつでもモテる
というナゾの自信が、私を支えていてくれる。
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