大事に至らなくてよかったのですが、気持ちを整理するためにブログに書きます。
※途中、ケガの描写が出てきます。苦手な方はご注意ください。
9月30日土曜日、午前4時半すぎ
その日、私は深夜1時頃、いつも通りひとりで眠りについた。
私の夫は、仕事の前日には決して飲みに行かない代わりに、毎週金曜の夜、会社の同僚と、またはひとりでゆっくり飲みに行く。
帰りはいつも深夜になるので、私も気にせず先に眠る。
その日は、2日後に控えた初講師をつとめるセミナー準備の最後の仕上げをして、夜更かしせずにいつもどおり布団に入った。
翌日は、東京からセミナーに来てくれる友人のささやかな結婚パーティをする予定だった。
かなり前からプレゼントを準備して、楽しみにしていたのだ。
早く明日にならないかな、と考えながら布団に入り、そしていつの間にか眠っていた。
深い眠りから、私を起こしたのは夫の声だった。
ぼんやりと目を覚ますと、暗闇の中に夫が立っていた。
「なに?どうしたの?」
熟睡から無理やり引きずり出されて、目も開かないくらいぼんやりしたまま、かろうじて声を出す。
「ちょっと、手伝って」
私に来て欲しいらしい。
状況がまったくつかめないまま、布団から起き上がり、夫のもとに近づいた。
彼はスペイン語でくり返し何か言っている。
でも、頭の中にもやがかかっているようで、言葉が意味を成さない。
夫が、「自転車から落ちた」と言っていると気づいたのと、彼の血まみれの顔が目に飛び込んできたのとは、ほぼ同時だった。
夫の帰宅
「どうしたの!?」
夫の頭から顔半分にかけて、いくつもの太い血があごまで流れていた。
「自転車で転んだ。この血を洗いたいけど、ガーゼとか、ない?」
夫は苦しそうな声でそう言うと、洗面所に入っていく。
「ガーゼ…ないなあ」
私は一応、キッチンにある薬の入っている棚をガサゴソとあさった。
まだ頭はぼんやりしたままだ。
「ウェットティッシュじゃダメ?」
「たぶん、くっつくと思う」と夫。
ガーゼっぽいものと言えば、マスクぐらいしかなかった。
「ないよ…」
洗面所に夫のようすを見に行った。
血が苦手な私は、夫の顔を直視できなくて、鏡ごしに恐る恐る眺める。
額が3センチくらい裂けて、そこに血が固まったようになっている。
夫はなんとかして顔の血を洗い流そうと考えているようだ。
もう一度薬の棚に戻りながら、私は
(コンビニにガーゼ売ってるかなあ…マキロンもないし、エタノールでも消毒ってできるかなあ…でもどうやって…)
というところまで考えて、やっと、
(ていうか、病院に行くべきじゃないか?)
と気づいた。
頭の中のもやが邪魔で、うまく考えがまとまらない。
近所にいくつか救急病院があるのは知っている。
今夜も、寝るときに何度も救急車のサイレンが近づく音を聞いたのだ。
(でも、救急病院っていきなり行ってもいいのかな)
夫は立って歩いているから、救急車を呼んではいけない気がした。
頭が回らなくて、急いでスマホを開いて検索する。
「大阪 救急」
検索結果の一番上に、「大阪市 救急安心センター」というのが出た。
サイトを開くと、「突然の病気やケガで困ったときは」と、相談先の電話番号が書いている。
電話してみると、すぐ男の人が出た。
夫の状態を説明し、「近くの救急病院に行ってもいいのでしょうか」と聞いた。
すると「まず電話してから言ってください」と言われ、近所の救急病院を3つ教えてくれた。
一番近所のところから順に、電話してみる。
全滅だった。
「医師がオペ中で」「別の救急患者を診ていて」……。
今思えば、月末の金曜の深夜だ。忙しかったのだろう。
こうやってこのブログを書いている今も、外では救急車のサイレンが響いている。
でもその時の私の心境は、
(こんなに近くに病院があるのに、1つも行けないなんて)
という、軽い絶望だった。
そうこうしてるうちに自力で血を洗った夫が、ふらふらと歩いてきて、リビングのカーペットの上に仰向けに寝転がる。
心配になって見に行くと、血が流された傷跡はぱっくり開いていて、絶対に家で処置できるような感じではない。
しかもしきりと「首が痛い」と言っている。
やっと頭がはっきりしてきた私は怖くなって、ぐったりしている夫に矢継ぎ早に聞いた。
「気分は?」「どこが痛いの?」「意識はしっかりしてる?」「病院に歩いていけそう?」
軽いパニックだった。夫のほうが冷静に、全部日本語で答えた。
「頭は大丈夫。怪我が痛いだけ。それより、首の後ろが痛い。骨かもしれない。ちょっと、起こして」
夫が差し出す手を引っ張ってゆっくり体を起こし、首の後ろを確認する。
首の付け根部分が少しふくらんで腫れているようだけど、内出血などはない。
私はそれよりも、頭のケガのほうが心配だった。
「病院、いっぱいみたい。もう一度探すから、ちょっと待ってね」
そう言って夫を寝かせたものの、どうしていいかわからなかった。
ネットで対処法を検索したくなる気持ちを、必死に押さえる。
ネットの医療情報の不確かさは、仕事柄よく見聞きしていた。
そうだ、父に電話してみよう。
父は保健体育の教師だ。そのうえ柔道部の顧問なので、ケガの対応は慣れっこだった。
子どものとき、ねんざした私の足を、きれいにテーピングしてくれたことを思い出した。
父に電話しながら、目の前にあったパソコンを立ち上げる。
(起きていますように)
そう祈りながら。
9月30日土曜日、午前5時
父は出なかった。
母の携帯と、実家の家電にもかけてみたが、すべて留守電。
かけながら、パソコンでもう一度「大阪 救急」と調べて、同じ「救急安心センター」のサイトを開く。
さっきは見落としていた、「緊急時は迷わず119番へ」という文字が目に飛び込んできた。
(これは緊急なのか)
判断がつかない。
病院さえ空いていれば、夫をタクシーに乗せて行くことができるのに。
歩けて会話も出来る状態で、救急車を呼んでも断られるのでは、と心配だった。
(もう一度かけて、どうにもならなかったら救急車を呼ぼう)
そう決めた。
このまま夫を寝かせて朝まで待つのは、どう考えても危険に思えた。
再度、救急安心センターに電話する。
さっき全部断られたと伝え、何か対処法を教えてくれるのかと期待したが、さらに3件、別の病院を教えてくれただけだった。
(らちがあかない)
急いで3件かけてみるが、結果は同じ。
電話の合間にも、こまめに夫に声をかけて、意識があるか確認する。
3件目にかけている間に、父から折り返しがかかってきた。
かけ直すと、父はすぐ出てくれた。
急いで事情を説明する。
父の判断は早かった。
「あのな、すぐ救急車を呼べ。そのほうが早いし、処置もしてくれるから。また病院決まったら教えてくれ」
そうハッキリ言われて、やっと救急車を呼ぶ決心がついた。
生まれて初めて、119に電話する。
かけると、スマホの画面に勝手に「緊急」と表示された。
電話はすぐつながり、「火事ですが、救急ですか」と聞かれる。
事情を説明すると、すぐに住所を聞かれて、電話を切る頃には
「今、もう救急車が向かってますからね」
と言われ、ホッとした。
夫に「救急車呼んだから」と告げ、夫のカバンから財布を取り出し、保険証を探す。
ない。
「保険証は?持ってないの?」
「あー…クローゼットの中」
(なんで持ってないの!!)
そう言いたくなるのをグッとこらえ、クローゼットを探していると、夫も無理に起き上がってきて、2人で探した。
すぐ救急車が来るはずだから、私は取り急ぎパジャマから着替え、夫の着替えもカバンに入れる。
財布にお金があることを確認し、クローゼットに戻ると夫はまだ保険証を探している。
2人で荷物をひっくり返して、やっと見つけた。
(あとで、保険証はいつも財布に入れとけって、言おう)
そう思ったとき、救急車のサイレンが聞こえた。
「来た、来たよ」
待っていると、電話がかかってきた。
マンションがオートロックになっていて、入れないらしい。
「主人、歩けますので。下までおります」
そう言って、夫の手を引き、ゆっくりマンションの廊下をあるいて、エレベーターに乗り、下に降りた。
午前5時15分、救急車到着
マンションの前には、救急隊員と、警察の人も来ていた。
夫のケガを見た途端、いっせいに驚いた顔をして
「うわ…」
と言っていたので、(救急車呼んだのはまちがいじゃなった)と妙に安心する。
夫はすぐに救急車に連れられていき、私は警察の人に「旦那さんの自転車を見せてください」と言われて自転車置き場に一緒に行った。
几帳面な夫らしく、ちゃんといつもの場所に自転車が停めてあった。
警察の人は自転車の傷を確認し、夫や私の名前・住所・生年月日を聞いていく。
夫は名前が長いので保険証を見せた。
警察の人が住所を確認しようと裏を向けると、住所が書いてなかった。
私のには書いていたが、夫のは書いてなかったのだ。
というか、あんな小さい記入欄に、夫が自分で書けるわけがなかった。
(あとで絶対書こう)
と思いながら、状況を説明する。
夫は、たくさんお酒を飲んでいた。
そして、私の「お酒を飲んだら自転車に乗ってはいけないよ」という言いつけを守り、手で自転車を押して帰っていた。
自転車は折りたたみで小さく、家まであと3分というところでタイヤが段差にあたり、ハンドルが急にかたむいたらしい。
その勢いで夫は自転車と一緒に転び、段差にモロに頭を打ち付けた。
警察と話す私を見て、管理人さんが心配そうにやってきた。
「夫が自転車で転んで、救急車呼んだんです。お騒がせしてすみません」と謝った。
話が終わると、私も救急車に乗り込んだ。
夫は横になり、傷にはガーゼがあてられ、心拍を図る器具がクリップみたいに指についている。
その姿を見て、(もう大丈夫だ)と安心した。
救急車の中で、夫は隊員の人の質問に全部日本語ではっきり答えていた。
私も、夫の帰宅時間など、細かい時間を何度も聞かれた。
警察の人が再び来て、夫が自転車をこいでいたか、押していたのかを細かく確認する。
どうやらそれで、処理が変わるらしい。
そうこうしているうちに「受け入れてくれる病院が見つかった」ということで、救急車は走り出した。
サイレンを鳴らして、すいすいと進んでいく。
ふいに、去年まで住んでいたメキシコシティで、渋滞がひどすぎて、まったく身動きができない救急車を何度も見たことを思い出した。
(ここが日本でよかった)
と、不謹慎ながら思った。
5時30分、病院へ
病院に着くと、夫は自分で歩いて診察室へ入っていった。
私は初めて来るその病院で受付を済ませ、診察室の前のイスに腰掛けて待つ。
(これでもう安心だ)と思うのに、気持ちがそわそわとして、落ち着かない。
ずらっと並んだ診察室のドアが開くたびに、すごい勢いでそちらを見てしまう。
看護師の人が来て、状況を説明してくれた。今、夫はCT検査をしていて、それから傷の縫合をするので、1時間ぐらいかかるという。
「首もかなり痛がってたので、お願いします」と言うと、首のCTもとってくれるとのことだった。
そうだ、父に電話しなきゃ。
受付で電話ができる場所を聞き、父にかける。
父は優しい声で「頭の傷は縫えば大丈夫やから。首だけしっかり調べてもらえよ。頚椎(けいつい)がずれてたらあかんから」と言って、「また結果がわかったら連絡しろ」と切った。
イスに座りながら、(どうやって時間をつぶそう)と考える。
不思議と気持ちは前向きだった。
救急車の中でも、夫がしっかり日本語で受け答えしていたので、それも安心につながった。
救急隊員の人が、病院側に夫を引き渡すとき「日本語、大丈夫ですので」と言っているのを聞いて、誇らしくも感じた。
でも、検査の結果が出るまで油断はできない。
なんとなく惰性でTwitterを見る。
変わらない早朝のタイムラインが、ただの記号のように目の前を通り抜ける。
他人の批判をしている余裕のある人が、幸せに見えた。
今夜の、楽しみにしていた結婚パーティのことを思い出す。
何週間も前から用意して、ラッピングしたプレゼントは、私が代表して家に預かっていた。
参加者の吉見さんに、メッセージを送った。
「夫がケガして、救急車に乗って、今病院。今夜のパーティーは行けません。
あとで、うちにプレゼント取りにこれる?」
その日、たまたま東京に行くため早起きだった吉見さんからは、ほどなく返事が来た。
やりとりをしているだけで、少し気が紛れる。
(誰かと話したい…)
そう思って、もうひとり、昔からの友人にLINEした。
彼女は、娘が生まれた時から難病で、とくに新生児のとき、何度も発作を起こし救急車で運ばれていた。
当時メキシコにいた私が寝てる間に不安なメッセージを何度も送ってきて、私も一生懸命はげました。
彼女なら、私の気持ちをわかってくれる気がした。
彼女は当時、私に話を聞いてもらえて、楽になったと言っていたけど。
(本当だろうか)
夫がケガをしただけで、こんなに不安なのに。
自分の子どもが死にそうになっている彼女の気持ち、私はなんにもわかっていなかったと思う。
Twitterを見ても、何をしても、上の空だった。
気持ちは前向きなのに、胸がざわつくのが耐え切れなくて、(そうだ、安心できる理由をちゃんと考えよう)と決めた。
頭の中で、夫は意識があるし、しっかりと会話してるし、ここは病院だし、日本だし、何も心配することはない。
夫の会社のおかげで保険もある。
メキシコで、私は保険がなかったので、いつも病気や事故が怖かった。お金が払えなければ、治療が受けられないかもしれない。
でも、そんな心配もないのだ。
(夫は大丈夫だ)
改めてそう思ったら、急にじわっと涙が出てきた。安心の涙。
(泣かなくていい。何も泣くことなんてない)
必死に耐えて、感情の整理をするため、頭の中でさっきまでの出来事をブログにしようと考えた。
今まで起こったことを次々と文章化して、客観視していく。
それでなんとか、1時間を過ごした。
6時30分、検査結果
診察室から女医さんと、その後ろから処置が終わった夫が出てきた。
不安げな私をよそに、夫がお医者さんの見えない角度から私を笑わそうとしてきて、「元気そうやん」と思わず吹き出してしまう。
お医者さんが不思議そうな顔をした。
検査結果は頭も首も異常なし。
額の傷は7センチ(!)で、あと皮1枚で骨に届くところだったという。
11針も縫ったそうだ。
「頭なので、今から24時間と、今後1か月はこういう症状が出ないか、注意してください」
と、症状がいろいろ書かれた紙をもらった。
その一言で私は不安になったのに、次のお医者さんの言葉にガクッときてしまった。
「ご本人は、顔に傷が残ることをかなり気にされていて…」
お前は女優か。思わず心の中でつっこむ。
脱力しながら、薬をもらうため、待合のイスに夫と並んで座った。
「ヒトミ、ごめんね」
と夫が言う。
「そうだね。お酒飲んだら、自転車は気を付けないとね。あと、治るまでお酒は禁止ね」
「え~~」
「え~~じゃない」
夫の声は弱々しかったけど、気分はさっきより安定してるみたいだった。私もだ。
「明日、私はセミナーの仕事があるけど、今日はずっと一緒にいるから。夜の飲み会もキャンセルしたから」
何気なくそう言ったら、夫はすごく落ち込んでしまった。
「ごめんなさい…。僕、大丈夫だから、行っていいよ」
行けるわけがない。
夫の家族は、日本で私だけなのだ。
夫も、私がメキシコで高熱を出して寝込んだ時、当たり前のように一日中ただそばにいてくれた。
外国でケガや病気をすると、心細さが全然違うのは、経験から知っている。
夫に納得してもらうため、さっきお医者さんからもらった紙を見せた。
「ほら、見て。ここに24時間は気をつけてくださいって書いてるでしょ。何かあったときのために、今日は一緒にいたい」
そう説明すると、やっと納得してくれた。
塗り薬を受け取り、会計すると1万3千円だった。
保険がなければいくらかかっていたかと思うと、払える金額でほんとよかったと思う。
タクシーを呼んで、家まで帰った。
7時、帰宅
家に帰ると、まず「電話してください」と言われていた警察に電話して、いくつか確認だけされた。
そして、徹夜状態でお酒臭い夫は、すぐに眠った。
私も、ものすごく疲れていたが、寝ようという気にならない。
目を離すと、夫がどうにかなってしまいそうで、怖かった。
とりあえず、ぐちゃぐちゃになった部屋を片付ける。
いつもはなかなか片付けない、と夫に叱られる私も、今は部屋が散らかっていると、自分の心の中を見ているようで嫌だった。
片付けながら、父に電話して状況を伝えた。
そのあと、父から連絡を受けた母からもすぐ電話がかかってきた。
「頭のケガはたくさん血が出て怖いけど、縫えば治るからね。このあと、気分が悪くなったりしないかだけ、気をつけや」
優しい声で言われて、また泣きそうになった。
さっき医師からもらった注意事項を、夫のためにスペイン語に翻訳しようと思うが、頭がぜんぜん働かない。
(私もちょっと寝なくちゃ)
そう思って、食べたら眠くなるかと思い、昨日買っておいたパンを1つ食べた。
このパンは、土曜の遅い朝ごはんとして夫と食べようと思って買った、おいしいパン屋さんのものだ。
まさかこんな朝早くに、こんな気持ちで、ひとりでもそもそと食べることになろうとは。
食べ終わると、歯を磨いて、寝ている夫を邪魔しないように、ほとんど布団からはみ出して横になった。
目を閉じると、さっきの夫の血まみれの顔が浮かんで、どきどきして寝られない。
(起きたら夫の好きな食べ物と、傷が傷んだときのために、痛み止めを買いに行こう)
でも全然寝られなくて、仕方ないのでkindleでマンガを読んだり、Twitterを見たり。
何度も夫が呼吸しているか確認しながら、限界が来て、真っ暗な眠りに落ちた。
(後編に続く)